今までやってきたことを振り返ってみる
これもうずっと言ってるんだけどぼくが好きなのプログラミングとかその手の勉強ではなく創作活動であって創作活動のためなら手段を選ばなさすぎてプログラミングに手を出したら思いの外しっくり来たってだけなんだよな
— はすみ (@hsm_hx) June 1, 2018
なんかやっぱり思ったけどぼく創作活動が好きなんだわ…
— はすみ (@hsm_hx) February 21, 2018
コンピュータ部入部の動機は昆布に誘ってきた同級生が前から部活の楽しそうな話をよくしてて、いいなーと思ってたところで「大会に向けて3Dモデリング担当として入ってほしい」と誘われたことですがなんか気付いたらプログラミングしてたね なんで?
— はすみ (@hsm_hx) November 22, 2018
なんかいろいろ言ってるけど結局今まで何をしてきて今何をしてるのみたいな話が湧いてきたので一度自分の変遷を振り返ってみます。
~小学生ぐらいまで
幼稚園の頃から絵を描くとか工作が好きでした。
好きな遊びはおえかきと新聞紙で武器を作ることと砂場に水を流すやつですみたいなまあ典型陰キャです。
これぐらいの頃からクソ古いパソコンが家にあったのでピングーのソフトで遊んでみたり勝手にネットブラウザ開いてアンパンマンの公式サイトを見たりしていました。
スクリーンセーバーとかクリックとかいう概念を知った頃。
ローマ字が読めたり簡単な算数ができたりしていて漢字も読むだけなら不自由なかったので少女漫画のファンタジーもののところだけ読んだりしていました。
小学校に入学したら近所で草摘んできて水につけて遊んでました。草。
おえかきが好きだったので近所の友達と漫画雑誌作ろうみたいなやつをしていました。
中二病オタクだったのでファンタジーものを描いてました。好きな展開は主人公闇堕ちと催眠悪堕ちだったんですが催眠とか検索に掛けるとエロ同人しか出てきません。何故?
幼稚園年長さんぐらいのころにパソコンとさよならしていたのですが、3,4年生の頃にインターネットを手にしました。
親はWiiのブラウザでテレビ使って2chとか見てるし完全に中二病オタクを拗らせたぼくは陰陽道とか黒魔術とかの怪しいサイトを見てました。 ヤッバ…
怪しいサイトが大好きな典型中二病だったぼくは本当にやばくてお絵描き帳を破った紙切れにネットで調べたそれらしい模様を書き写して親戚に配ったりしていました。ヤッバ…
黒歴史は置いておくとして、DSiとインターネットがあると何が起こるかというとうごくメモ帳を始めます。
オタクの黒歴史メーカー、多分いろんな人の「はじまり」になっていた気がする。
ここでボカロと出会ったり歌ってみたに走ったりお絵描きが転じてアニメーションPVを描いたりするようになりました。
当時の何かが残っていればと思ったがネットからは見つかりそうにありませんでした。
ボカロのPV描いてたりオリ棒とか描いてRPG風ストーリー作ったりしてましたね。作者ランキング最高500とかの雑魚うごメモラーをやっていました。
中学校に入る
1年生のクラスでニコ生主の友達ができました。 ヤッバ…
友達に誘われてTwitterを始める。ニコ生にもコラボで出たりする。これが地獄で多分ぼくの一番ヤバかった時期。
小学校高学年ぐらいの頃家にパソコンが生えたので入学とほぼ同時にペンタブを買いました。
うごメモに飽きてきたのでTwitterに鞍替えして絵を描いたり歌ったり典型ニコニコオタクになっていた。
当時の動画が発掘されたので晒します。
腹から声出せカス
fircrazyって何???@crazy20000110とは???
とかをしていたら自分がボカロPになりたくなったらしくてこの頃は進路面談でも作曲家になりたいとか抜かしていた。
中学生ボカロP!とか言ってイキってました。
当時の動画が発掘されたので晒します。
完成させろ
ちなみにこの辺の頃のデータは一つも残っていません。この頃頑張って家のキーボードからUSBで音取ろうとしたりしてました。
あと同じぐらいの頃にAviUtlと出会ってなんか知らんけど動画師気取ったりしてました。他人の歌ってみたのMIXやったこともあった気がする。
というのが中学1年までの話で、中学2年になるとまた変わって今度は二次創作同人界隈に身を投げます。
pixivでメイキング眺めて真似して自分でも絵を描いてとかをしていて、
リアルでは美術部だったのでコピック買ってみたり動きのある絵を描く練習をしたりしてました。
同人強い人間と知り合って即売会に行きたくなったりをしていた。行けないので開くか~って言ってたけどさすがに中学生じゃ無理だった。
同人拗らせた結果うごメモの頃の経験からなんかショートPV集作ろうぜをやったりしてた。
あと自分の絵を溜めておく個人サイトとかいうやつをみんな持ってたのでぼくも欲しくて作った。HTMLを勉強しました。
当時のサイトは発掘されませんでした。
完全にオタクと化したぼくはニコニコ動画にあるヴァンガードタグの動画をほぼ全て再生、そこで出会ったのがTRPGでした。はい終わり
これは今のぼくの原点に近い動画です。
これを見てオタクと化したぼく「えーぼくもイメ卓の人々とお友達になりたい けどフォローするの怖いな 向こうから来てもらうには作るしかねえ」
当時の動画が発掘されたので晒します。
ロリショタはいいですね
完全に動画主と化したぼくは学校でシナリオを作りダイスを転がして家に帰ると無限にAviUtlと格闘する毎日を続けました。
中学3年生の…冬 プリパラにハマりました。
マイキャラかわいいを拗らせた結果MMDモデルにして家でもマイキャラを愛でるぞと言いながらメタセコイヤに手を出しました。
挫折しました。高専に入ったら3Dモデリング強い先輩探すぞと心に誓った気がする。
高専に入ってから
授業でプログラミングをやりました。得意だけどだからと言って何ができるわけでもないをしていた。
学校入ってから割とすぐ動画の話とか3Dモデリングの話とかをしていて、コンピュータ部の友達と動画の話とかをしていました。
とかをしていたらコンピュータ部の友達から「3Dモデリング担当で部活に入ってほしい」と誘われたので入部。
当時の動画が発掘されたので晒します。
これはなに?
今までの人生で培ったマルチメディア性が遺憾なく(あるが)発揮されていて、
入部数ヶ月で
- 総監督
- シナリオ
- 音声編集
- キャラデザイン
- 声優
- 3Dモデリング・アニメーション
- ロゴ制作補助
などをしました。アホ?
このあとはコンピュータ部員としていろいろやっていくことになるわけですが、 そんなぼくの初めての作品はUnityでリズムよく割り箸を割るゲームでした。それなに?
2年の前期でコンピュータ部の公式サイトを作る手伝い(同級生にHTMLとCSSを教えてバグシューティングと手動mergeをする)をしたり、
夏休みにUE4と出会ってブループリントだけでゲームを作るをやったりしていました。
2年生の高専祭のCCC(ゲーム大会)に提供した作品のPVが残っていたので晒します。
2年生のコンフェスに出展した作品のスライド(?)も残っていたので晒します。
3年の前期まではこんな感じでゆるくコードを書かないプログラミングをしていて成長率0%でした。なぜなら公式ドキュメントもチュートリアルもしなかったため
3年後期で高専プロコンを見学しに行ってなんか高専生のフォロワーがめちゃくちゃ増えて楽しくなりました。
とかをしてるとまるで世界プログラミングをするのが当たり前になったように錯覚して、ひたすらQiitaを読んだり図書館で技術書を借りたりしてみるようになりました。
ここで重要なのはコーディングは何ひとつしなかったことです。どうして?
ただ、12月頃にCTFに興味を持ってちょっと常設解いてみるぞとかをしていたりしました。
あとは3月のコンフェスに向けてPythonでゲームを書いたりしていた。それぐらいです。
高専4年になった
高専4年になってプログラミングを真面目にやるようになりました。
これまで意識高い系をして逃げてきたぼくがなぜプログラミングと向き合うようになったかというと単にインターンシップのためです。
ポートフォリオ作らないと!とか、web系行きたいけど何も成果物がない!とかそういう焦りが徐々に生えてきました。
とかしてたからインターン全落ちなんですよね。お前アホ?
というので真面目にwebフレームワークの勉強してみたりドキュメント読めるように頑張ったりとかをしていました。
なんですが困ったことにインターン全落ちぼくはインターン全落ちになるまで無能の実感が湧いていなくて、
なぜか自分のことをめちゃくちゃ価値ある存在だと思っていました(それはそうで、学校のレベルが低いため)。
インターン全落ちした瞬間に「あっぼくオファーしてきた企業にすら落とされるレベルなんだ」となって焦りはじめるをした。
その結果がGitHubに如実に現れていて、こういう感じです。
8月後半から焦って開発を始めて、9月頭にSECCON Beginners 2018 広島に行って、なんか逆求人行くことになって、10月はプロコン行って、11月高専祭で、次は12月GitChallengeがあります。
こう考えると本当にこの3ヶ月いろいろ詰め込んだな~と思っています。頑張ったなぼく。
結局今までとこれからがどうつながってるのか
なんかやたら黒歴史を晒すをしましたがそこまで黒歴史とは思っていなくて、いろいろやってきたからこそ今のプログラマとして落ち着いている自分が存在しているんだと思うので個人的には満足です。
あと単にシナジーみたいなのがあって、大体何してても今までやってきた創作系の活動が役に立ってる感じはします。
絵を描いてたときに得た知識は動画とかモデリングとかゲームに使えるし画像処理の理解にもつながります。
あと歌ってみたやってたときの知識はコンフェスで脱力探偵したときにも使えたし、動画作ってた時に画面構成とか考えてたのはwebやる上でも役に立ってたりします。
そもそもゲームとか素材が大量に必要なのでそういう技術を粗方持ってると全部一人で作り切れたりします。
本当は高専に入るときに「ぼくはプログラマになるぞ、絵はもう描かないぞ」とか言ってたんですが今もいろんな人のアイコン描かせてもらってひとつのコンテンツになってるしいろんな自己表現ができるのは素直に自分の強みだと思っています。
バンドのボーカルしたのとかもそうだし、昔ゲームエンジンいじってたことがなかったらhsm_aiをUnityで動かそうにもなってなかったと思うので。
そんな感じで今後もコンピュータの分野についてもマルチメディアについてもいろいろ手は付けていきたいと思っています。成果物という名の黒歴史を量産していくぞ~
おわり