共感は好意になり得るか
前書き
今日は1日体調が悪かったです。
最近は周りの人の人間関係だとか部活の雰囲気だとかそういうやつが気になってます。
あれこれ考えて気が重くなるとゲーセンに行ってDDRをします。
身体を動かすとちょっと気分が晴れます。
共感は好意になり得るか
人間の好意は全て尊敬に収束すると思っています。
スポーツ選手を好きになるのはスポーツが得意なところを尊敬しているからだし、 歌手を好きになるのは歌が上手いところを尊敬しているからだと思います。
…と思っていたのですが、よく考えたら共感されるのって嬉しくないですか?
考えに共感できる人には親近感が湧きますよね。
っていうことは尊敬だけじゃなく共感に分類される好意もあるんでしょうか?
それとも親近感や共感は尊敬に対する補助的な役割であって好意そのものにはなり得ないでしょうか?
サッカー
ぼくはサッカーが好きです。
サッカーが好きというよりはレノファ山口が好き、の方が正しいかもしれません。
中学生の頃、キャリア教育でスポーツ選手として来校したレノファの選手を見て
「レノファ山口ってサッカーが好きな社会人集団でしょ? プロでも何でもないし話聞いたところで何なんだ」
とか言っていたぼくも気付けばゴールネットの後ろで大声を出すサポーターです。
レノファ山口がJ2に上がってから、全国のサッカーファンがアウェイゲームの応援で山口に来るようになりました。
その結果なのか温泉街には新しい店が立ち並び商店街のシャッターも昔より減った気がします。
ぼくはサッカーが好きです。
後書き
毎日インターンの書類審査の合否発表が来るのが怖いです。
プロコンに向けての開発もそろそろ始めないといけないなあと思っています。
今度1年生の教室で講話をすることになりました。
7月の高専カンファレンスin京都七夕でも登壇することになりました。
やることがたくさんあるのでがんばります。